【くさい東京―昭和30年代の東京】

今でこそ、「清潔できれいな街」と称賛される東京ですが、昔からそうだったわけではありません。
この画像は、昭和35年(1960)7月の新河岸川の様子を撮影したもの。
隅田川へ注ぐ合流点付近です。
後方に見える船の手前には、大量のゴミが浮かんでいます。
高度経済成長期の東京。その顔とも言える隅田川も「汚濁は、その限度を遥かに突破し、多量の堆積物、浮遊物質によって外観を損するだけでなく、悪臭を放ち、周囲の住民の生活をきわめて不健康たらしめている」状況でした(『都史資料集成II第6巻「都市公害」の時代』p113)。実際、隅田川沿岸の住民は、川から漂う臭気で窓も開けられないありさまでした。昭和36年には歴史ある花火大会も中止されてしまいます。
昭和30年時点の千住大橋付近のBOD(※)はなんと36.9mg/l(ppm)!とても生き物は棲めない値です。
現在大都市の河口付近の水質は、10 mg/l(ppm)以下を基準としているので、どれほどひどい汚染だったかがわかります。

この度、当館が刊行した資料集『都史資料集成II第6巻「都市公害」の時代』では、このような惨状を前に東京都がどんな対策をとっていったのかを、当時の公文書や資料で明らかにしています。

都内公立図書館、道府県図書館等に配布しているほか、都民情報ルームで販売しています。ぜひお手に取ってご覧ください。

※BOD:Biochemical Oxygen Demand(生物化学的酸素要求量)の略。生物が水中にある有機物を分解するのに必要とする酸素の量(mg/l)を表し、河川の汚染度が進むほど値は高くなります。10mg/l以上になると、河川中の酸素が消費され、悪臭の発生など嫌気性分解に伴う障害が現れ始めます。(参考:国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所)

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『都史資料集成II第6巻「都市公害」の時代』
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/06kanko_butsu/0602t_syusei2

画像出典:『都内各河川調査Ⅰ 水質』東京都島しょ農林水産総合センター所蔵

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15 いいね! ('25/04/18 22:00 時点)