検挙者に占める再犯の割合が50%近い日本。

その大きな要因は、居住先が決まらないまま放り出される出所者たちだ。

彼らを受け入れ、更生支援に心血を注ぎ、

この問題に正面から取り組んでいる人物に話を伺った。


企画・取材:高木優一

撮影・文:長谷部なおき

編集:区民ニュース編集部


おそよ5000人が帰住先なしで出所

刑務所での刑期を終えて出所する人の中には、住む家が決まっていない人がいる。職がなく、所持金もわずかなために、野宿やホームレスの状態となり、意に反して再犯に追い込まれるケースが少なくない。そんな出所者の人たちに一時的に住居を提供し、更生の支援をしている人がいる。一般社団法人生き直しの代表千葉龍一さん、38歳だ。出所者等を受け入れる「自立準備ホーム」を東京および埼玉に4カ所運営している。


「刑務所から出てきた方で帰る家がないという方もいるんです。75%くらいの方は、家族の元か更生保護施設へ行きます。ところが残りの25%ほどの方は、帰住先(帰る場所のこと)が決まっていないのに釈放されてしまいます。今なら年間でだいたい2万人くらいの方が出所されるので、5000人くらいの方が行くあてもなく出てくるわけです。そうした方々を受け入れて、生活支援、就業支援などを行っています。」



法務省発表の犯罪白書(2019年版)によると、2018年の出所者は2万1060人。そのうち家族や友人など、身元を引き受けてくれる人の元へ帰った人は6,034人。更生保護施設への入居者が9,719人。千葉さんのいう通り、およそ1/4の人が帰住先なしで出所を迎えていた。その中で千葉さんが運営するような自立準備ホームを頼った人は1679人。全体の17.2%に当たる3628人は、受け入れ先のないまま社会に放り出されている。どうなるのだろうか?


「お金があるうちはネットカフェ。所持金が尽きたらホームレス。暴力団の事務所に入るケースも多いと聞きます。女性なら夜の仕事。絶望して自殺する人も。そこまでいかなくてもすぐに逼迫するので、やむにやまれず窃盗をしたり、わざと万引きをして捕まる人もいます。」


犯罪検挙者数で見ると、2004年の38万9000人をピークに減り続け、2018年には20万600人にまで下がった。しかし再犯率に着目すると2004年の35.6%に対し、2018年は48.4%となっている。この数字は過去最高(最悪)の割合である。


「住む場所が定まらないというのは大きな不安とストレス。住所がないと仕事に就くこともできません。困窮して犯罪が繰り返されます。家がないことが引き金となって再犯がなくならない。この悪循環を少しでもなくせたら、というのが私の願いです」


刑務所出所者の更生を支援する

千葉さんが自立準備ホームの仕事と出会ったのは2014年のことだった。当時千葉さんは、社会的弱者や生活困窮者、様々な悩みや問題を抱えた人たちをサポートする団体「公益社団法人日本駆け込み寺」で広報、相談員、ファンドレイジングを担当していた。同法人が刑務所から出所する人の支援を決めたとき、千葉さんは手を挙げた。私にやらせてほしい、と。そうやって自立準備ホームの運営責任者となった。出所者を受け入れ、日々接し、相談に乗り、就職までをサポートした。出所者の社会復帰のために少し前にオープンしていた「新宿駆け込み餃子」へも毎日顔を出し、無償で仕事を手伝った。しかし...


「諸事情があり、ホームの存続が困難になってしまったんです。散々悩みましたが、私としてはこの支援事業を続けたかった。お世話になった日本駆け込み寺を卒業させてもらい、2018年に株式会社生き直しを設立して自立準備ホームの運営をスタートさせました。その後、一般社団法人生き直し”を設立しています」



ここで自立準備ホームにて触れておこう。法務省から委託を受け、刑務所を出た人の「緊急的住居確保・自立支援対策」に基づく民間の施設である。検挙者に占める再犯者の割合が上昇を続ける中、従来の更生保護施設だけでは不十分だったため、無料低額宿泊所などでも受け入れが可能になるよう法改正が行われた。施設といっても借り上げアパートや住宅を利用している場合が多く、一部屋を複数で使ったり、共同生活を送っているところも少なくない。運営責任者または職員は毎日、生活指導やカウンセリングを行う必要がある。事前通告がなく、出所した当日に受け入れが決まることも稀ではない。端的に言えば、何らかの罪を犯した、素性もよくわからない人が、ある日突然やってきて、付き合いが始まるのである。簡単に手を挙げられる類の仕事ではない。なぜ千葉さんは、この仕事なのだろうか。


「それは、私が加害者の心境と向き合って生きてきたからなんです」


そう言って千葉さんは、かつて自分が起こしてしまった交通事故について話し始めた。


友人を死なせてしまった交通事故

「大学1年の春休み、2年生になる前ですね。高校の時の野球部の友達を助手席に乗せて青梅街道を走っていました。突然、目の前を何かが横切りました。車を運ぶトレーラーでした。私が見過ごしたんだと思います。はっ、と思ったときにはもう間に合いませんでした。急ハンドルを切って衝突こそ避けましたが、車は横転。反対車線に飛び出してガードレールに当たって停まりました。」


近くにいた人たちが集まってきて車を起こしてくれた。隣の彼は血まみれになっていたような気がするが、よく覚えていないと千葉さんは言う。二人とも救急車で運ばれた。別々の病院だった。千葉さんは奇跡的に無傷に近い状態だった。その後病院から警察に身柄を移され、友人が亡くなったことを知らされた。即死に近かったという。全身が沸騰して大変なことをしてしまったと思った。その日のうちに逮捕状が出され、千葉さんは勾留された。


「責任を取ることができないようなことをしてしまいした。死にたい、死刑にしてくれ、と本気で思いました。警察官や裁判官の方にも、もう生きていたくない、ここ(拘置所)から出さないでくれ、というようなことを言っていました。裁判が始まっても本当に極刑を望むような精神状態でした。しかし、野球部の仲間たちは、そんな私を救うために嘆願書を集めてくれていました。亡くなった彼も同じ野球部の仲間です。生きて償え、責任を果たす努力をしろ、という気持ちもあったのかもしれません。」



裁判にその嘆願書が影響したかは不明だ。だが千葉さんは執行猶予が付きの判決を受けた。命を奪ってしまった彼の家に向かった。


「起訴されて釈放された時から、謝罪には伺っていました。最初は会ってもらえずに追い返されました。『千葉君は仲間だったが許すことはできない』と言われました。当然だと思います。『言い訳は聞きたくない』『どんなことも理由にはならない』と。それでもご訪問し、謝り続けるしかないと思いました。」


ご家族とも面識があった。ご両親、お兄さんのいる平和なご家庭だった。それを壊してしまったのだ。元に戻すことはできない。許してもらえるはずもない。でもそこから逃げるわけにはいかない。


「怖い気持ちや逃げ出したくなる心境がゼロだったわけではありません。でも行くしかないし、一生償うしかない、という気持ちがはるかに優っていました。」


千葉さんの気持ちを後押ししたのは、弁護士から渡された一冊の本だった。交通事故で家族の命が突然奪われた遺族の方々が書いた手記だった。



謝罪と生き直しの人生

「加害者よりも被害に遭われた方、ご遺族の方の方が、何倍も辛いし、悲しい思いをしているはずです。加害者が一度も謝りに来ないようなケースもあり、それがいかにご遺族を苦ませるかが書かれていました。殺してしまった相手やご遺族に謝ることができるのは、殺した本人だけ。私しか謝ることはできません。それをせずに、仲の良かった彼の家族を一生苦しめるようなことをしてはいけないと思いました。生きている限り謝罪を続けることが、せめてもの償いだと。」


毎月命日にご訪問した。門前払いされても、怒りをぶつけられても、ひたすら謝罪を続けた。墓参りも欠かさなかった。生前の友の姿を思い浮かべて祈り、謝罪の言葉を唱えた。ご家族とも会って話をしてもらえるようになった。次第に家にも通してもらえるようになった。仏前で手を合わせ、花を手向けた。そうやって7年が過ぎた頃のことだった。亡くなった彼の父親からかけられた言葉は、忘れられないものとなった。


『千葉くん、もういいよ。君の誠意は十分にわかった。だからもう、来てくれなくても大丈夫だよ』


一つの大きな節目だった。


「背負っていたものが少し下ろせたような、なんとも言えない気持ちになりました。でも、もちろん、それで許されたとは思っていません。」



千葉さんが謝罪に通い続ける中で真摯に感じ取ったのは『死を無駄にしないでほしい』というご遺族の方の思いだった。法学部の学生だった千葉さんが、事故後に最初に目指した仕事は弁護士だ。加害者感情が痛いほどわかると思ったからだ。しかし、5回の試験で合格を果たせなかった。死に物狂いでやったつもりだが、本気になれていなかったのかもしれない。そう振り返る。このままではいけない、何か社会の役に立つことがしたい、と強く思うようになった。そんな矢先に公益社団法人日本駆け込み寺の求人を見つけた。自分自身が駆け込むような思いで仕事に就いた。それを喜んでくれたのが、亡くなった彼のご両親だった。


「仕事を始めたご報告に伺ったのですが、私が社会性のある仕事を選んだことを、とても好意的に受け止めてくれました。仕事内容が変わって、刑務所から出所した方々の更生支援を始めたときも嬉しそうにしてくれました。2018年に独立の報告に行ったときには、とてもにこやかな表情で、『よく頑張ってるな』と言ってくれました。私が何を選び、どう生きるのかを見ていてくれたのだな、と感じました。」


謝罪は言葉でだけでするものではない。生き方が問われるのだ。年月をかけて加害者であることに向き合い、誠実を貫くことでしか伝わらないものがある。それは千葉さんにとっての“生き直し”だった。その思いを法人名に込めた。


「株式会社生き直しと一般社団法人生き直しは『どんな人でも生き直すことができる』が理念。私自身が加害者として、そういう人生を歩んでいます。だから、同じように再起したい人に寄り添いたい。刑務所を出ても行くあてのないような人たちの“生き直し”をサポートしていきたいのです。私が通ってきた道だから、伝えられるものがあるんじゃないかと思っています。」


出所者が千葉さんの施設を利用できる期間は刑務所を出てから6ヶ月。その間に仕事に就き、新しい住所を決めて巣立つ。6ヶ月の間は、毎日顔を合わせることになる。気性の荒い人もいれば、気難しい人もいる。しかし、出て行くときには晴れやかな表情を見ることができる。


「『千葉さんのお世話になっていなかったら、やり直せなかった、ありがとう』そんな声を聞くたびに、この仕事に携われて良かったと思います。人が立ち直る瞬間に立ち会えるのは、この上なく嬉しい。うちを出てからが本当のリスタートかもしれませんが、その人が生き直しの人生を歩めるように、できる限りのサポートをしていきたいと思っています」


そう言って千葉さんは天を仰いだ。暖かな春の日差し。満開の桜。その上空には、旅立たせてしまった友人が天国から見守っているような、雲ひとつない青空が広がっていた。



千葉 龍一

一般社団法人生き直し代表

株式会社生き直し 代表取締役


1982年東京生まれ

獨協大学法科大学院卒

大学時代に自らハンドルを握るクルマで交通事故を起こし、助手席にいた高校時代の野球部の友人を亡くし、人生のどん底へ。『自分が生きることは許されない』と思うようになる。

しかし、野球部の仲間やたくさんの友人に助けられ、自分の命の使い方は誰かのためにあるべきだと決意。その後、縁があり日本駆け込み寺の門をたたくことに。

駆け込み寺で、玄秀盛の師事を仰ぎ成長し、刑余者の支援をすることに。そして、駆け込み寺での経験を活かし、自身で刑余者の支援をする道に。


一般社団法人生き直し

https://ikinaoshi.com/


株式会社生き直し

https://ikinaoshi.co.jp/